31歳(男)一歩一歩断酒の日々

アルコール依存症の31歳男です。 自分のこれからの人生とお酒の関係を見直していき、飲まないで生きていく日々を綴っていきたいと思います。お酒をやめたい方、やめている方、やめてほしい方が近くにいる方、全然お酒関係ない方、どうぞよろしくお願いいたします!私の自己過去紹介&お酒に捕まった生き方はコチラからご覧ください。→http://kuturogi-human.blog.jp/archives/1067924824.html

お酒のない日々を綴っていきます♪

タグ:断酒


お越しいただきありがとうございます。


数日間ブログ更新がなく申し訳ありませんでした。


実は、諸事情でブログ更新が難しい状況になりましたのでしばらくお休みをさせていただきたいと思います。

ちなみに再飲酒でというわけではありませんので、そのあたりはご心配なくです(笑)
PC等々の環境の問題です・・・。

書き始めの頃の予想よりもはるかに大勢の方にご覧いただき、本当に感謝感謝です。


また、再開しましたらまた是非ともご覧ください!


ブログ最初の記事はこちら→今日活から綴る断酒・断酒の生活



まだ途中までですが、私のこれまでのお酒の飲み方と生き方はコチラ→【断酒・禁酒ブログ】自己過去紹介①:私の生き方とアルコールの飲み方


断酒中の手作り男飯はコチラから→本日の【男の禁酒・断酒飯】1品目「昼飯ささみチャーハン」



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前回まで、これまでの生き方やお酒を乱用し始めたころについて書いてきました。



幼少期の生活環境や性格はコチラ→【断酒・禁酒ブログ】自己紹介①:私の生き方とアルコールの飲み方



前回のブログ記事はコチラ→【断酒・禁酒ブログ】自己過去紹介⑦:はじめての精神病院退院とその後



出席日数


仕事をやめて実家に逃げ帰り、職業訓練校に通い始めましたがお酒は依然として止まることはありませんでした。


そんな中で、あと数回休むと訓練修了に必要な日数が足りなくなると担当の先生からお話しがありました。



幸運だったのはこの担当の先生が本当に心から尊敬できる素晴らしい方で、何となく私の状況を察して下さり、「お前は怠け者だ!」という態度ではなく「事情があると思うけど負けないで!一緒に終了とその先の人生を切り開いていきましょう」


という旨の激励を下さりました。当時、何をやっても続かないと心が痩せ切った私の心に染みわたる言葉でした。


そして、もう1つ。



膵臓からくる鈍痛でベッドから動けなかった時です。母が胃薬をもってきてくれました。職業訓練校に通いはじめる事を応援してくれていたので、母なりのエールだったのだと思います。



膵臓の痛みなので胃薬は全く効きませんでしたが、その優しさと励ましも心に響きました。



この日から、もう一度お酒をやめて訓練校に通って修了しようと決意しました。




数日間は手は震え、汗は滝のようにでてきました。
集中力も散漫でしたが離脱症状のピーク3日間が週末だったので自宅で耐えきりました。



そのあとは休むことなく6か月間の訓練に通うことができました。



Excel、Wordの資格、秘書検定を取得することができ、


慣れてきたころから、職業訓練校の後に自動車学校にも通いはじめて自動車運転免許も取得する事ができました。



職を失い、家の居場所もなかった状態でしたが



支えてくれる方々のおかげで、お酒を断ち資格まで取得する事ができました。



再就職


職業訓練の後半は就職活動も並行して行いました。


事務系の資格は取得しましたが、スポーツ経験を活かした仕事をしたいとずっと思っていました。
正直、これを選んだ理由は大学を中退して両親に申し訳がなかったからでした。


スポーツ経験を活かせる仕事は田舎町には中々見つからず、範囲をひろげて探してみたところ、とてもいい仕事内容を見つけました。



東京に




東京で数社新幹線に乗って面接を受けに行きましたが、最も条件のよさそうなところに就職を決める事ができました。



そして、職業訓練校を修了した年明けにまた学生以来の1人暮らしの挑戦の為に再度上京をしました。




28歳になる年でした。



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幼少期の生活環境や性格はコチラ→【断酒・禁酒ブログ】自己紹介①:私の生き方とアルコールの飲み方


学生時代の性格や考え方、お酒に至った経緯はコチラ→【【断酒・禁酒ブログ】自己紹介②:学生時代の私の生き方とアルコールの飲み方




初スリップ


妹との出掛け先での初のスリップ。


このつまらない日々をもう一度打開してくれる、楽しく彩ってくれる。そう思ってすがるような気持ちで飲んだお酒は期待よりもずっと美味しくも刺激的でもありませんでした。


入院でアルコール依存症と診断されて、「最初の1杯に手を付けてはいけない」と教えてもらっていましたし、入院した事を台無しにする罪悪感はありましたが

「自分は20代で若いし他の人とは違う、コントロールが効く範囲で飲めばいいんだ」
勝手に都合よく解釈しスリップをきっかけにのみはじめました。


これはまずい、病院にまた行こう。とは全く思えませんでした。


また、お酒を飲む日常に戻りました。
今度はお酒を飲んでいる事が会社の人にばれたらまずい、首になる。そう思いましたが、そううまく晩酌だけ飲めていたのはほんの数日でした。


自分でコントロールできると思って考えていたのですが、驚愕のコントロール不能でした。
迫る欲求を我慢なんてとてもできませんでした。


結局入院前よりもひどい飲み方になっていきました。


仕事中に酔って寝ていたことが一番印象に残っています。
仕事中に酔いつぶれているなんて論外です。


同じ会社で2度目の入院はありませんでした、
やっぱりそうなったか、という雰囲気で会社の同僚に見られながら社会人2つ目の職場を3年勤めて退職しました。



27歳でした。



実家に逃げ帰り、再就職


また実家に逃げ戻ります。



前回は3年前に学校と仕事をやめて東京から


今回は仕事をやめて隣町から



両親もあきれ果てていました。



しかし、帰ってまもなくはお酒がとまりませんでした。
やることがはっきりしておらず、時間の限り飲んでいました。


母親は大激怒。出て行けと終始言われていました。
今までずっと擁護してくれていた父親もかばいきれない様子でした、


肩身が狭く、家にいたくありませんがとても1人暮らしできる資金も体調でもなく言われないよう隠して飲むようにしていました。


自分でもお酒をやめなければ再就職に向かって動き出せないと思っていましたが、止まりません。
とにかく時間があれば飲んでしまうので仕事をすればなんとかなると思い、ハローワークに足を運びました。


実家から歩いて10分、自転車で5分の場所にありましたがお酒を飲んでいると行くと決めてから足を運ぶのに数日かかりました。


再就職の為に足を運びましたが、なんと職業訓練というものがありお金をもらいながら次の仕事に向けての勉強ができる制度があることを知りました。


大学を中退した劣等感で勉強というものに飢えていたのでとても魅かれました。

これなら生活リズムを整えながら勉強して、仕事に向かうことができると思い受講を決意しました。
両親にも伝えたところ、安心した様子でそれから家の中での仕事(夕食係、掃除係)を引き受けて居場所をつくることができました。


ところが、お酒は止まりません。
受講がはじまるまでの1か月弱の間にお酒の量が増えていき、受講の1~2日前から膵炎と思われる鈍痛が起こり動けなくなって職業訓練の最初の数日いく事ができませんでした。



痛みはどんどん強くなりますが、お酒への離脱症状もあり(私の離脱症状はこちらに書いてあります)お酒は飲み続けていました。



職業訓練には痛みが和らいでいる日に行きますが、行っても昼休みにコンビニでお酒を買って飲んでいるようなありさま。講義中もお酒が頭をよぎっていました。


そんな調子で通っていると訓練校の先生に、出席日数がもう少しで足りなくなる。
訓練の中止になってしまうという旨のお話しがありました。



大学の頃が頭をよぎりました。



またダメか。








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Uターン



明るい未来に向かって上京したはずが、5年間自己中心的な考えで人間関係を築く事ができず、もっと自分を活かせる居場所があるのではないかなど環境や人のせいにしていました。



現実を受け入れられず酒に溺れて、実家に逃げ帰りました。



両親、とくに母は自分が育てた子供の情けなさと投資が無駄になった気持ちが抑えられない様子でした。



帰ってからしばらくは会話もない状態。



しかし、少しずつ私がもう一度やり直していきたいという事を受け入れはじめてくれました。



そして、実家にいると不思議とお酒を飲まずとも過ごすことができ、気持ちも徐々に前向きになっていきました。数か月で私は就職活動を開始、隣町のリゾート地で働く事になりました。



両親も就職先が決まり、とても喜んでくれました。




私自身も今度こそ・・・という気持ちで新たな職場にむかいました。



入社


リゾート地で働くことにした理由は1つ、これまでサービス業しかしたことがなかったからです。


この会社は寮制で実家からの通勤ではなく、また1人暮らしがはじまりました。
引っ越しは両親ともに来てくれて、「今度こそ頑張れよ!お前なら大丈夫だ!」
と声を掛けてくれました。


そして、新たな職場へ。
はじめて従業員が多い組織に入ります。


最初は仕事を覚えるのに必死。お酒もほとんど飲んでいませんでした。
入社して半年程はそんな日々が続いていたように思います。


ですが、根本は学生時代からの自己中心的で自分本位な考え方の私は組織の中で協調性を保つことが少しずつできなくなってきます。


ところが、それを救ってくれていたのは当時の上司でした。仕事上のミスだけではなく、私の人間としての欠点を親以上に厳しく指導して下さりました。私のねじ曲がった性格や自己中心的な考えを叩き壊してくれようとしました。


今思えば本当にありがたい事ですが、当時の私は性格を改善する前にメンタルが壊れてしまいました。



「また今日も怒られるのでは?」「機嫌が悪いのは自分が何かしたんじゃないのか?」
帰ってもそんなことばかり考え、悶々とした気持ちになる日が多くなりました。



そこでまたお酒にまた手を出しはじめます。
最初は発泡酒の500mlを数本飲んでいましたが、どんどん量が増えていきます。



すると、二日酔いで酒くさい日などがあり、更に上司からの私へのあたりが厳しくなってきます。



それで量だけでなくアルコール度数も高くなり、しまいには小瓶のウィスキーをくわえながら愚痴ぐちとひとり言を呟きながら帰っている日々でした。お酒がなければこの時は気持ちを落ち着けることができないと思っていました。


業務を覚えていくにつれて勤務時間が不規則になっていきます。
すると、お酒を気持ちを落ち着ける為だけではなく、睡眠薬としても使うようになります。
お酒で記憶をとばして眠る睡眠方法が確立されます。


酒臭さに加えて遅刻するようになり、いよいよ上司からは無視されるようになっていきます。
もうどうしたらいいのかわかりませんでした。


自分が悪いとは思いますが、お酒を手放して気持ちを保つことは到底できませんでした。
お酒のおかげで生活できていましたし、お酒の為に仕事をしていました。


仕事にはいきたくないし、寝ようと思ってベッドに入れば悪い想像がぐるぐる回ってきます。
どうしたらいいのかわからず、泣きながら飲んでは次の日はひどい顔。
上司とは不仲で、会社でも雰囲気を悪くする毎日でした。


ところが、ある朝。二日酔いで起き、喉の渇きを潤すために冷蔵庫にあった発泡酒をたまたま飲んで仕事に行った日がありました。

いつもの上司への怖い気持ちや、億劫な気持ちがスッキリ晴れて心に元気がみなぎって感じました。


お酒は万能薬。すごいとその時思いました。



上司からの対応は変わらないのですが、自分の中で全く気にせずいられます。
いつも気持ち良く仕事ができ、毎日仕事前に飲むようになりました。


朝の歯磨きを血が出るほど行ない、ブレスケア用品をしこたま使いながら朝飲み続ける日々。



ところが、効果が徐々に短くなってきます。


仕事中に万能薬の効き目が弱くなるので、仕事の最中にも飲むようになります。
宿泊施設なので、仕事中のお酒には全く困ることはありませんでした。

あちこちにストックがあります。


飲み放題です。



お酒を飲み続けながら仕事をしていました。



連続飲酒になります。




そんな日々を2週間程過ごしたある日、
朝起きると腹部と背部に呼吸困難な程に凄まじい痛みが走りました。



「死ぬ」と思いました。




入院



病名は「急性膵炎でした」



緊急入院で20日間絶食入院・・・



退院して、仕事に戻ります。


主治医からはお酒は絶対に飲んではいけないと言われました。



膵炎の痛みは恐怖でしたが、もうあの痛みはおこらないかもしれないという考えと、
お酒なしでは仕事、生活はできないという考えですぐにお酒に手を出します。


1か月後、同じ急性膵炎。


その1年間で合計4回、入院退院を繰り返しました。



はじめは会社の人たちもお見舞いに来てくれましたが、4回目にはもう誰も来てくれませんでした。



唯一来てくれたのは、両親でした。


入社してお酒を飲み始めてからは連絡を取っていませんでしたが、会社から連絡があったのか突然病室に現れました。



私は鼻に管が入っていてうまく言葉が話せず、痛みで起き上がることができなかったのですがとても安心した気持ちになりました。



ところが、2人とも何も言わずに悲しい顔をして帰っていきました。
何度実家を送りだしても結局は情けない姿にしかない自分をどんな気持ちで見ていたのかは想像もつきません。



「頑張れ!お前ならできる!」と送り出してくれる両親を何度裏切るのか、他のこれまで良くしてくれた人たちの思いも無下にし、なんでこんな生き方しかできないのかと考えると情けなくて悔しくて涙が止まりませんでした。



ここではじめて、主治医の先生にどうしたらいいのかわからないと相談をしました。



答えとして渡されたのは、アルコールをやめる為の病院への紹介状でした。



26歳になっていました。






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何だかここ数回暗い内容ですが・・・
お酒をやめている今感じているメリットはコチラに書きました→http://kuturogi-human.blog.jp/archives/1067504995.html

お越しいただきありがとうございます。ホシイモです。


前回から、これまでの自分の生きてきた環境や考え方について書いています。
【断酒・禁酒ブログ】自己紹介:私の生き方とアルコールの飲み方



小学校~高校時代



小学生時代の私は、攻撃的な面を持っていたと思います。
クラスメイトに暴力をふるってしまい、泣かせて先生に怒られる事がしばしばありました。


「怒って殴った」などではなく、「暴力」だと思わず悪ふざけにそんな事を行っていました。
頭を叩いたりする事は家でもされていたので小学生低学年までは普通だと思っていました。


しかし、それは教育を受けていく中で改善されましたが時々、物を壊したり動物をいじめたい衝動にかられていたのを覚えています。今はないです。


しかし、それとは裏腹に気持ちは強くはなく注意など受けるとすぐに落ち込んだり「・・・しゅん」となっていました。


クラスのコミュニティーの中では比較的目立つタイプの児童だったと思います。
ただそれは運動ができているので目立っているというだけで、友達が多いわけでも信頼されているというわけでもなかったんじゃないかと思います。


性格は自己中心的で、「俺が、俺が」といつも言っていました。認めてほしくて仕方なかったんだと思います。


そして、認めてもらえる手段が「運動」と「勉強」でした。


なので、とにかく色々なスポーツを行いましたし勉強も毎日自主勉強ノートを先生に提出していました。運動ができてすごいと他の児童に思ってもらいたくて、勉強をしている姿を先生や親に褒めてもらいたくて続けていました。


目立ちたいとずっと思っていたのですが、褒めて欲しい、自分を見てほしいと強く思っていたのだと思います。


小学生時代は「運動ができる」というのはステータスとしてかなりの比重を占めるので、性格は悪くても人が離れる事はなかったのですが。年齢を重ねていく毎にそれだけじゃだめな状況になっていきました。


しかし、そのステータスしか自分には頼るものがなかったのでそれに打ち込み、高校では結果も出して全国大会にも出場し、大学もその関係に進学しました。



悪いことばかりしかかいていませんが、目標に対してストイックに向かっていき達成するということについては、比較的よくできていたと思います。

少し高い目標でも短期的、長期的に目標をたてて取り組んでいました。




お酒を使い始めた大学時代


思い出すと情けなくなりますが、書いていきます。


大学に進学してもその自己中心的な考えが続いており、なかなか自分から相手を受け入れるという事ができませんでした。


自分と違う価値観の人を拒絶し、自分のものさしでしか物事を判断していませんでした。


自分の価値観といっても精神的にも未熟でガキくさい考え方でしたので、周りの人は徐々に私を相手にはしなくなっていったように思います。大学はみな運動のエリート集団でしたので、自分の持っていた唯一の他の人より優れていると思っていたものが通じない世界でした。


しかし、自分を認めてもらいたい、居場所が欲しいという気持ちは強く思っていました。
その方向性を誤って悪目立ちに走ってしまい、結局大学生活では白い目でみられていました。(自意識過剰ですが)学校にもどんどん行きにくくなっていきました。


しかし、それでも自分の性格や考え方を変えてみようとは思えませんでした。自分に近づいてきた人だけを相手にした自分には、コミュニケーションの取り方や相手の気持ちを推し量る方法がわかりませんでした。


地元を離れた土地で友人もできず、孤独を強く感じました。地元が一緒の友人に夜な夜な電話をしていましたが、徐々に友人はそれぞれの生活の中で新しい仲間を作っていき話せる時間が減りました。私は相変わらずの為、孤独感はさらに加速していきました。


その孤独感や、生活をどうしたらいいのかわからない不安な気持ちを取り除くのに、お酒を使いました。



最初から、楽しいお酒というよりは負の感情をかき消すために乱用しました。
お酒を飲んで酔うとなんとも言えない高揚感により、その時に感じていた嫌な気持ちやさびしい気持ちを忘れることができました。


「助かった」とそう思いました。
お酒は万能薬だと信じるようになりました。


20歳の頃には家にいる時間はほとんど飲んでいました。学校に行くときにも行きにくい気持ちをかき消す為にお酒を使ってその気持ちをなくしていました。授業中にも飲んでいるようなありさまでした。


そんな生活を続けていると、お金がすぐになくなります。
お酒を飲む為の資金を稼がなければと、朝方までの居酒屋やカラオケ店のアルバイトをはじめました。


仕事中に眠気や疲れが襲ってくると隠れてお酒を飲んでその気持ちもかき消しました。
大学では居場所がない私でも、バイト先では居場所があり心地良く感じました。仕事終わりには、お店のお酒を飲んで酔っ払って帰る日々で、そんな生活では学校にはとても行く事はできていませんでした。


4年生の時には留年する事実に直面しました。親には卒業はできると伝えていたため、焦りました。
しかし、数年間アルバイトだけして学校に行っていなかった自分では巻き返す事は到底できず留年することがきまりました。


その事実にも目を背けて、事実までかき消したいと考えてまたお酒をつかいました。
その時はとくに大酒を飲み、ウィスキーをボトルで一気飲みした後しばらくして記憶をなくしました。


目が覚めると病院のベッドの上でした。


お酒を飲んで酔っぱらったままで包丁で手首や手を切ったというより刺しまくり、血を垂れ流して近所の道端で倒れていたところ、救急車を呼んでもらったようです。


学校に連絡がいき、父が車で4時間かけて病院に迎えにきてくれました。
部屋の中は血だらけでひどいありさまでしたが、父はそれを私に見せないようにして
「お前は車で待っていなさい」と言ってそれを掃除してくれました。


そのまま一度地元に帰る事になりました。
車中では何も会話がなかった事を覚えています。




続きはコチラから→【断酒・禁酒ブログ】自己過去紹介③:大学時代、社会人になるまでの私の生き方とアルコールの飲み方



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