お越しいただきありがとうございます。
前回まで、これまでの生き方やお酒を乱用し始めたころについて書いてきました。
幼少期の生活環境や性格はコチラ→【断酒・禁酒ブログ】自己紹介①:私の生き方とアルコールの飲み方
学生時代の性格や考え方、お酒に至った経緯はコチラ→【【断酒・禁酒ブログ】自己紹介②:学生時代の私の生き方とアルコールの飲み方
初スリップ
妹との出掛け先での初のスリップ。
このつまらない日々をもう一度打開してくれる、楽しく彩ってくれる。そう思ってすがるような気持ちで飲んだお酒は期待よりもずっと美味しくも刺激的でもありませんでした。
入院でアルコール依存症と診断されて、「最初の1杯に手を付けてはいけない」と教えてもらっていましたし、入院した事を台無しにする罪悪感はありましたが
「自分は20代で若いし他の人とは違う、コントロールが効く範囲で飲めばいいんだ」
勝手に都合よく解釈しスリップをきっかけにのみはじめました。
これはまずい、病院にまた行こう。とは全く思えませんでした。
また、お酒を飲む日常に戻りました。
今度はお酒を飲んでいる事が会社の人にばれたらまずい、首になる。そう思いましたが、そううまく晩酌だけ飲めていたのはほんの数日でした。
自分でコントロールできると思って考えていたのですが、驚愕のコントロール不能でした。
迫る欲求を我慢なんてとてもできませんでした。
結局入院前よりもひどい飲み方になっていきました。
仕事中に酔って寝ていたことが一番印象に残っています。
仕事中に酔いつぶれているなんて論外です。
同じ会社で2度目の入院はありませんでした、
やっぱりそうなったか、という雰囲気で会社の同僚に見られながら社会人2つ目の職場を3年勤めて退職しました。
27歳でした。
実家に逃げ帰り、再就職
また実家に逃げ戻ります。
前回は3年前に学校と仕事をやめて東京から
今回は仕事をやめて隣町から
両親もあきれ果てていました。
しかし、帰ってまもなくはお酒がとまりませんでした。
やることがはっきりしておらず、時間の限り飲んでいました。
母親は大激怒。出て行けと終始言われていました。
今までずっと擁護してくれていた父親もかばいきれない様子でした、
肩身が狭く、家にいたくありませんがとても1人暮らしできる資金も体調でもなく言われないよう隠して飲むようにしていました。
自分でもお酒をやめなければ再就職に向かって動き出せないと思っていましたが、止まりません。
とにかく時間があれば飲んでしまうので仕事をすればなんとかなると思い、ハローワークに足を運びました。
実家から歩いて10分、自転車で5分の場所にありましたがお酒を飲んでいると行くと決めてから足を運ぶのに数日かかりました。
再就職の為に足を運びましたが、なんと職業訓練というものがありお金をもらいながら次の仕事に向けての勉強ができる制度があることを知りました。
大学を中退した劣等感で勉強というものに飢えていたのでとても魅かれました。
これなら生活リズムを整えながら勉強して、仕事に向かうことができると思い受講を決意しました。
両親にも伝えたところ、安心した様子でそれから家の中での仕事(夕食係、掃除係)を引き受けて居場所をつくることができました。
ところが、お酒は止まりません。
受講がはじまるまでの1か月弱の間にお酒の量が増えていき、受講の1~2日前から膵炎と思われる鈍痛が起こり動けなくなって職業訓練の最初の数日いく事ができませんでした。
痛みはどんどん強くなりますが、お酒への離脱症状もあり(私の離脱症状はこちらに書いてあります)お酒は飲み続けていました。
職業訓練には痛みが和らいでいる日に行きますが、行っても昼休みにコンビニでお酒を買って飲んでいるようなありさま。講義中もお酒が頭をよぎっていました。
そんな調子で通っていると訓練校の先生に、出席日数がもう少しで足りなくなる。
訓練の中止になってしまうという旨のお話しがありました。
大学の頃が頭をよぎりました。
またダメか。
駄文をここまで読んでいただきたいありがとうございます
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暗い内容が続いていますが、現在はお酒がなくても日々過ごせています。今、私がお酒の代わりに飲んでいるのはウォーターサーバーのお水です→【禁酒・断酒中の代わりの飲み物】冷たくておいしい!プレミアムウォーター♪
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初スリップ
妹との出掛け先での初のスリップ。
このつまらない日々をもう一度打開してくれる、楽しく彩ってくれる。そう思ってすがるような気持ちで飲んだお酒は期待よりもずっと美味しくも刺激的でもありませんでした。
入院でアルコール依存症と診断されて、「最初の1杯に手を付けてはいけない」と教えてもらっていましたし、入院した事を台無しにする罪悪感はありましたが
「自分は20代で若いし他の人とは違う、コントロールが効く範囲で飲めばいいんだ」
勝手に都合よく解釈しスリップをきっかけにのみはじめました。
これはまずい、病院にまた行こう。とは全く思えませんでした。
また、お酒を飲む日常に戻りました。
今度はお酒を飲んでいる事が会社の人にばれたらまずい、首になる。そう思いましたが、そううまく晩酌だけ飲めていたのはほんの数日でした。
自分でコントロールできると思って考えていたのですが、驚愕のコントロール不能でした。
迫る欲求を我慢なんてとてもできませんでした。
結局入院前よりもひどい飲み方になっていきました。
仕事中に酔って寝ていたことが一番印象に残っています。
仕事中に酔いつぶれているなんて論外です。
同じ会社で2度目の入院はありませんでした、
やっぱりそうなったか、という雰囲気で会社の同僚に見られながら社会人2つ目の職場を3年勤めて退職しました。
27歳でした。
実家に逃げ帰り、再就職
また実家に逃げ戻ります。
前回は3年前に学校と仕事をやめて東京から
今回は仕事をやめて隣町から
両親もあきれ果てていました。
しかし、帰ってまもなくはお酒がとまりませんでした。
やることがはっきりしておらず、時間の限り飲んでいました。
母親は大激怒。出て行けと終始言われていました。
今までずっと擁護してくれていた父親もかばいきれない様子でした、
肩身が狭く、家にいたくありませんがとても1人暮らしできる資金も体調でもなく言われないよう隠して飲むようにしていました。
自分でもお酒をやめなければ再就職に向かって動き出せないと思っていましたが、止まりません。
とにかく時間があれば飲んでしまうので仕事をすればなんとかなると思い、ハローワークに足を運びました。
実家から歩いて10分、自転車で5分の場所にありましたがお酒を飲んでいると行くと決めてから足を運ぶのに数日かかりました。
再就職の為に足を運びましたが、なんと職業訓練というものがありお金をもらいながら次の仕事に向けての勉強ができる制度があることを知りました。
大学を中退した劣等感で勉強というものに飢えていたのでとても魅かれました。
これなら生活リズムを整えながら勉強して、仕事に向かうことができると思い受講を決意しました。
両親にも伝えたところ、安心した様子でそれから家の中での仕事(夕食係、掃除係)を引き受けて居場所をつくることができました。
ところが、お酒は止まりません。
受講がはじまるまでの1か月弱の間にお酒の量が増えていき、受講の1~2日前から膵炎と思われる鈍痛が起こり動けなくなって職業訓練の最初の数日いく事ができませんでした。
痛みはどんどん強くなりますが、お酒への離脱症状もあり(私の離脱症状はこちらに書いてあります)お酒は飲み続けていました。
職業訓練には痛みが和らいでいる日に行きますが、行っても昼休みにコンビニでお酒を買って飲んでいるようなありさま。講義中もお酒が頭をよぎっていました。
そんな調子で通っていると訓練校の先生に、出席日数がもう少しで足りなくなる。
訓練の中止になってしまうという旨のお話しがありました。
大学の頃が頭をよぎりました。
またダメか。
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