お越しいただきありがとうございます。
前回まで、これまでの生き方やお酒を乱用し始めたころについて書いてきました。
幼少期の生活環境や性格はコチラ→【断酒・禁酒ブログ】自己紹介①:私の生き方とアルコールの飲み方
学生時代の性格や考え方、お酒に至った経緯はコチラ→【【断酒・禁酒ブログ】自己紹介②:学生時代の私の生き方とアルコールの飲み方
精神病院への通院
急性膵炎での入退院を繰り返し、両親や良くして下さる方々へ申し訳ない、情けない気持ちやどうしようもない状況から抜け出す為に精神病院への紹介状を内科の担当の先生に書いてもらいました。
会社が休みの日、その病院に向かう為新幹線で1時間かけて病院の最寄り駅へ。
そこからバスで30分弱。
通院はかなり厳しい立地条件でした。
当たり前のように車中ではお酒をガブガブ飲みながら病院へと向かいました。
1時間近い時間看護師さんか、ソーシャルワーカーさんの事前の聞き取りの後に
先生の診察がありました。
事前の聞き取りは、家族構成や今のお酒の飲み方。
これまでお酒により生きづらいと感じた事はないか?
というようなものとコチラの以前のブログにリンクを張ったKASTというチェック表を記入した覚えがあります。
その後先生からの問診がありました。
問診まで時間がかかるという事を看護師さんから聞いた為、私は昼食を外に食べにいく事にしました。その際もラーメン屋さんでビールを飲みながら餃子をつまみ、時間をつぶしました。
病院に戻った頃にはいい気分。待合ベンチに座るとすぐに問診の順番がやってきました。
その時のやりとりは、正直に自分のお酒の量などを話そうとせずに
少し隠しながら話した事を覚えています。→このようなやりとりでした。
それでも問診の最後、私はアルコール依存症である事が告げられました。
薄々は感じていましたが、本格的に告げらて現実がうまくのみ込めていない私に向けて先生はさらに、治療方法は断酒するしかないという追い打ちをかけてきます。
・入院をするか
・通院をするか
この選択を迫られました。
私はとくに入院をすすめられました。
自分で何とかしようと病院に足を運んだこと、まだ若い事が理由だったようです。
私は正直、断酒するという選択肢は頭にはなかったのですが今の状況はなんとかしたいという強い気持ちがあったので入院する事を決めました。
精神病院への3か月の入院
一度目の外来で入院する事を決めましたが、県内で唯一のアルコール依存症治療ができる病院。
20日間の待ち時間がありました。
その間も仕事に行っていました。
しかし、この間の飲み方が一番ひどかったです。
リゾート地のフロント業務をしていましたが、フロント内でも飲んでいました。
1組の接客が終わるとしゃがみ込み、胸ポケットに忍ばせたウィスキーをごくり。
お酒がなくなると館内の見回りと言ってフロントを離れ、飲料場にあるウィスキーを補充。
そしてサーバーからひねってビールを飲んだり、ワインボトルを一気飲みしたりとひどいありさま。
記憶をとばしながら仕事をしている事もありました。
膵臓の痛みが少しでる直前の鈍痛、ひどい顔のむくみと、身体の怠さで20日間を過ごしいよいよ入院する日がやってきました。
細かい入院の過ごし方については別に書いていきたいと思いますが、一度目の入院ではとてもアルコール依存症を認め、断酒をしていこうと思う事ができませんでした。
というのも、お酒を飲み続けてひどい状況になっていたことへの後悔や反省はあるのですが
「また同じように飲まなければいい」
そう思っていました。
アルコール依存症だと知らなかったから抗う事をせず、飲みすぎていた。
アルコールが身体に及ぼす影響はよくわかったから飲みすぎてはいけない、自分は他の患者たちとは違って飲みすぎてはいけないと思えばコントロールできるはず。
欲球のコントロールを自分ならできる。そう思い、まずはたばこで練習しようと考え、それまで吸っていたたばこをやめました。吸いたくなる気持ちはありましたが、「これが我慢できれば、お酒もコントロールできる」という訳の分からない理論を頭の中で展開していました。
意味不明です。ただ、その時は本気でした。そして本気でたばこはやめることができました。
入院生活自体も苦痛でした。
お酒が抜けた事で精神のバランスを保つことができず、怒りの感情と切なさが代わる代わる襲ってきて最悪の気分でした。
まわりの入院患者は年上の方ばかり、可愛がってもらうというよりはいじられてウザったくて仕方ありません。今なら全く問題ないと思いますが、その時の精神状態では誰も受け入れることができなかったと思います。
そんな後ろ向きな気持ちをもって入院生活を過ごし、3か月間が経ちます。
具体的な退院後の治療方法も考えずに退院をしました。
ただ、入院してよかった事ももちろんあります。
というよりもお酒を抜く事で良くなったことです。
・睡眠の質が格段に上がった
・カラダが羽のように軽い
・むくみがとれて顔がすっきりした
・肌艶がよくなった
・ご飯が美味しく感じるようになった&食欲がでた
・お金を使わないので、金銭的な不安が軽減された
・集中力が少し戻った
・様々なものに興味がもてるようになってきた
などがあります。いくつかについては→コチラに詳しく書かせていただいています。
退院してすぐに仕事に戻ります。
しばらくはフレッシュな気持ちで仕事を行います。
すごいのは身体が比べられない程に楽な事です。肝臓のγ-GTPが入院時にはとんでも数値になっていましたので、身体が相当怠かったのでしょう。
仕事にも集中して取り組むことができいたと思います。
しかし、何だか日々刺激が足りません。
つまらないように感じて仕方がないのです。
そして、以前よりも話がうまくできない気がします。
朝も元気がでない気がします。
食事も美味しいのですが、満腹でも満足していないような気持になりました。
面白くない日々・・・
退院して1か月程したある日、仲良しの妹と車で出かけました。
いつもなら楽しく過ごせますが、楽しく感じません。
こんなのじゃだめだ。楽しくもないし、生きている意味がない。
そう思った、外出先のショッピングモール。
妹がユニクロで洋服を見ている最中、トイレに行くと嘘をつき
輸入食品を扱うテナントでベルギービールを買い
トイレに入って
罪悪感と戦うこと1秒
一気に飲み干しました
こんな味だったかな
大して美味しくないな
そう感じました
最初のスリップでした
駄文をここまで読んでいただきたいありがとうございます
↓クリックでの応援よろしくお願いいたします
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暗い内容が続いていますが、現在はお酒がなくても日々過ごせています。今、私がお酒の代わりに飲んでいるのはウォーターサーバーのお水です→【禁酒・断酒中の代わりの飲み物】冷たくておいしい!プレミアムウォーター♪
前回まで、これまでの生き方やお酒を乱用し始めたころについて書いてきました。
幼少期の生活環境や性格はコチラ→【断酒・禁酒ブログ】自己紹介①:私の生き方とアルコールの飲み方
学生時代の性格や考え方、お酒に至った経緯はコチラ→【【断酒・禁酒ブログ】自己紹介②:学生時代の私の生き方とアルコールの飲み方
精神病院への通院
急性膵炎での入退院を繰り返し、両親や良くして下さる方々へ申し訳ない、情けない気持ちやどうしようもない状況から抜け出す為に精神病院への紹介状を内科の担当の先生に書いてもらいました。
会社が休みの日、その病院に向かう為新幹線で1時間かけて病院の最寄り駅へ。
そこからバスで30分弱。
通院はかなり厳しい立地条件でした。
当たり前のように車中ではお酒をガブガブ飲みながら病院へと向かいました。
1時間近い時間看護師さんか、ソーシャルワーカーさんの事前の聞き取りの後に
先生の診察がありました。
事前の聞き取りは、家族構成や今のお酒の飲み方。
これまでお酒により生きづらいと感じた事はないか?
というようなものとコチラの以前のブログにリンクを張ったKASTというチェック表を記入した覚えがあります。
その後先生からの問診がありました。
問診まで時間がかかるという事を看護師さんから聞いた為、私は昼食を外に食べにいく事にしました。その際もラーメン屋さんでビールを飲みながら餃子をつまみ、時間をつぶしました。
病院に戻った頃にはいい気分。待合ベンチに座るとすぐに問診の順番がやってきました。
その時のやりとりは、正直に自分のお酒の量などを話そうとせずに
少し隠しながら話した事を覚えています。→このようなやりとりでした。
それでも問診の最後、私はアルコール依存症である事が告げられました。
薄々は感じていましたが、本格的に告げらて現実がうまくのみ込めていない私に向けて先生はさらに、治療方法は断酒するしかないという追い打ちをかけてきます。
・入院をするか
・通院をするか
この選択を迫られました。
私はとくに入院をすすめられました。
自分で何とかしようと病院に足を運んだこと、まだ若い事が理由だったようです。
私は正直、断酒するという選択肢は頭にはなかったのですが今の状況はなんとかしたいという強い気持ちがあったので入院する事を決めました。
精神病院への3か月の入院
一度目の外来で入院する事を決めましたが、県内で唯一のアルコール依存症治療ができる病院。
20日間の待ち時間がありました。
その間も仕事に行っていました。
しかし、この間の飲み方が一番ひどかったです。
リゾート地のフロント業務をしていましたが、フロント内でも飲んでいました。
1組の接客が終わるとしゃがみ込み、胸ポケットに忍ばせたウィスキーをごくり。
お酒がなくなると館内の見回りと言ってフロントを離れ、飲料場にあるウィスキーを補充。
そしてサーバーからひねってビールを飲んだり、ワインボトルを一気飲みしたりとひどいありさま。
記憶をとばしながら仕事をしている事もありました。
膵臓の痛みが少しでる直前の鈍痛、ひどい顔のむくみと、身体の怠さで20日間を過ごしいよいよ入院する日がやってきました。
細かい入院の過ごし方については別に書いていきたいと思いますが、一度目の入院ではとてもアルコール依存症を認め、断酒をしていこうと思う事ができませんでした。
というのも、お酒を飲み続けてひどい状況になっていたことへの後悔や反省はあるのですが
「また同じように飲まなければいい」
そう思っていました。
アルコール依存症だと知らなかったから抗う事をせず、飲みすぎていた。
アルコールが身体に及ぼす影響はよくわかったから飲みすぎてはいけない、自分は他の患者たちとは違って飲みすぎてはいけないと思えばコントロールできるはず。
欲球のコントロールを自分ならできる。そう思い、まずはたばこで練習しようと考え、それまで吸っていたたばこをやめました。吸いたくなる気持ちはありましたが、「これが我慢できれば、お酒もコントロールできる」という訳の分からない理論を頭の中で展開していました。
意味不明です。ただ、その時は本気でした。そして本気でたばこはやめることができました。
入院生活自体も苦痛でした。
お酒が抜けた事で精神のバランスを保つことができず、怒りの感情と切なさが代わる代わる襲ってきて最悪の気分でした。
まわりの入院患者は年上の方ばかり、可愛がってもらうというよりはいじられてウザったくて仕方ありません。今なら全く問題ないと思いますが、その時の精神状態では誰も受け入れることができなかったと思います。
そんな後ろ向きな気持ちをもって入院生活を過ごし、3か月間が経ちます。
具体的な退院後の治療方法も考えずに退院をしました。
ただ、入院してよかった事ももちろんあります。
というよりもお酒を抜く事で良くなったことです。
・睡眠の質が格段に上がった
・カラダが羽のように軽い
・むくみがとれて顔がすっきりした
・肌艶がよくなった
・ご飯が美味しく感じるようになった&食欲がでた
・お金を使わないので、金銭的な不安が軽減された
・集中力が少し戻った
・様々なものに興味がもてるようになってきた
などがあります。いくつかについては→コチラに詳しく書かせていただいています。
退院してすぐに仕事に戻ります。
しばらくはフレッシュな気持ちで仕事を行います。
すごいのは身体が比べられない程に楽な事です。肝臓のγ-GTPが入院時にはとんでも数値になっていましたので、身体が相当怠かったのでしょう。
仕事にも集中して取り組むことができいたと思います。
しかし、何だか日々刺激が足りません。
つまらないように感じて仕方がないのです。
そして、以前よりも話がうまくできない気がします。
朝も元気がでない気がします。
食事も美味しいのですが、満腹でも満足していないような気持になりました。
面白くない日々・・・
退院して1か月程したある日、仲良しの妹と車で出かけました。
いつもなら楽しく過ごせますが、楽しく感じません。
こんなのじゃだめだ。楽しくもないし、生きている意味がない。
そう思った、外出先のショッピングモール。
妹がユニクロで洋服を見ている最中、トイレに行くと嘘をつき
輸入食品を扱うテナントでベルギービールを買い
トイレに入って
罪悪感と戦うこと1秒
一気に飲み干しました
こんな味だったかな
大して美味しくないな
そう感じました
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