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前回まで、これまでの生き方やお酒を乱用し始めたころについて書いてきました。

幼少期の生活環境や性格はコチラ→【断酒・禁酒ブログ】自己紹介:私の生き方とアルコールの飲み方


学生時代の性格や考え方お酒に至った経緯はコチラ→【断酒・禁酒ブログ】自己紹介:学生時代の私の生き方とアルコールの飲み方



大学中退

自分で招いた留年の事実から逃げる為お酒を飲んで自傷行為、そのまま父親から車で迎えに来てもらい一度地元に帰りました。


・このまま大学にもう一年いて、単位を取って卒業するのか。

・やめるのか。


選択を迫られました。当時の自分は大学にいける気はほとんどしませんでしたが、高校時代の部活動や受験のように集中して頑張れるならなんとかなるのではないかと少し思っていました。


部活動では全国大会出場、大学受験では合格不可能と言われていたのを数か月の受験勉強で追い上げて合格。この2つだけが私の人生での成功。過去の2回の成功にすがっていました。


そして、その可能性にかけました。

「もう一度頑張る。その為には今のアパートはマイナスな思いしか沸いてこないし、学校から近くて白い目で見られる感覚がずっと付きまというから嫌だ、引っ越しをさせてくれ」とお願いして自分の怠惰な日々や幼稚な考え方を環境のせいにしました。


留年する学費に重ねて、引っ越し費用まで親に頼って迷惑をかけてしまいました。
しかし、その当時はそんな事は微塵も考えていませんでしたが・・・今考えると本当に申し訳がないです。


1か月程実家に滞在してから、引っ越しを行い新居に住み始めました。
新しい住まいに、新学期、新しいバイト先、新たな思いで学校へ・・・


といくはずでしたが、やはりすぐに自分への甘さができます。
新しい住まいでも以前と同じ生活を繰り返しました。


仕事先でお酒を飲んで、自宅で飲んで、学校へ行く。だんだんと行かなくなる。
まったく同じです。


そして、また半年お酒を飲み続けて・・・また父が学校まで車で数時間かけてやってきました。


退学届けを提出する手続きの為やってきました。
23歳でした。

「大学卒業だけが道じゃない、もう学生じゃないから社会人として頑張れ」

大学から駅までの20分程の田園風景が続く道のりで、父は私にそういった事を覚えています。


私の情けない学生生活が終わりました。




社会人

学校生活から逃げ出し、怠惰な自分を情けなく思い実家には戻れませんでした。


1人暮らしを続けながら、同じ住まいに住み続けました。


そして、その後生活していく為の仕事について考えました。
ただ、学校に行きたくない。お酒を飲んでいたいと考えていただけなのでその後のことなど考えていませんでした。



私が考えた仕事はバーテンダーでした。


学校生活を犠牲にしてまで飲み続けていたお酒。これなら夢中になれる、プロになろうと考えました。


そして、学生時代に引っ越して、その後働き始めた居酒屋のアルバイトを続けつつ、バーの仕事を探しました。

飲みに行って雰囲気を見ては、お酒に飲まれてそのまま雇ってくれと話しだすしまつ。
どこもこんな酔っ払いの23歳のガキを雇うところはありません。


そのなかで、1件素敵なお店を見つけました。そのお店には飲みに行かず、電話をして履歴書をもって雇ってほしいと伝えました。


未経験でも大丈夫と最初はアルバイトからでしたが、数か月して正式にお店のメンバーに加えていただきました。目指す道が決まりました


大学をやめたのが7月、新たな職場のメンバーになれたのが10月。年明けの2月、実家のみんな大学を中退した事を詫びて、今回の仕事の事を話しました。


みなが本当によろこんでくれていました。


社会人のはじまりです。



続きはコチラから→【断酒・禁酒ブログ】自己過去紹介④:大学を中退後の生活とアルコール


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